吃音の本棚


吃音に関する書籍は2010年ごろから、少しずつ増えてきたように感じます。香川言友会事務局が実際に読んだ本を紹介していきます。


 「吃音の合理的配慮」菊池良和著

 (学苑社 2019年8月初版 1800円) 

 この本を読むと、吃音者には社会の側から、法律に基づいた配慮を受ける権利があるということが、すんなりと分かります。社会の側には配慮する義務があるのです。法律とは主に2016年に施行された障害者差別解消法のことです。

 吃音者の幼児、小学校、中学・高校、大学、就職といった人生の各段階で、先生や面接官、上司らはどう配慮するべきなのかを、著者の菊池さんは、実例を豊富に示しながら解説していきます。また、吃音者が実際に関係機関に配慮を求める時には、対応のポイントをまとめた書面を渡すのが効果的です。その例文も多数掲載しています。

 本の帯にはこう書かれています。「吃音を個人の問題で済ませるのではなく、社会の問題として捉え、『法律に基づいた支援』を考える時代になってきました。本書では、効果的な吃音支援を実現するために、合理的配慮の具体的な事例や法律そして資料を紹介します」

 菊池さんは九州大学病院耳鼻咽喉・頭頸部外科医師。自身にも吃音があり、吃音の臨床、教育、研究を精力的に行っている第一人者です。

 この本は、吃音者が生きる上での武器になります。  <2020年4月15日・雅> 


「ボクは吃音ドクターです。」菊池良和著

 (毎日新聞社 2011年2月初版 1600円)

 「吃音の世界」菊池良和著

 (光文社新書 2019年1月初版 800円)

 菊池さんは九州大学病院耳鼻咽喉・頭頸部外科医師の吃音専門医。「吃音ドクターです。」が2011年発行、「吃音の世界」が19年発行。どちらにも菊池さん自身が吃音に悩み、受け入れ、吃音専門医になるまでの半生が書かれています。

 その上で、「吃音ドクターです。」には、「吃音のある人に伝えたいこと」、親や先生、言語聴覚士らに向けた「周囲に望むこと」を具体的に盛り込み、国立障害者リハビリテーションセンター学院言語聴覚学科教官の坂田善政さんとの対談も収録されています。

 「吃音の世界」には、吃音の原因研究や治療の現状、菊池さんの吃音外来に来院した人たちの実例などが書き込まれています。さらに、吃音のために人との接触を回避するようになると社交不安障害(対人恐怖症)を発症するケースがあることにも触れ、予防法も紹介しています。

 私は菊池さんの講演を聴いたことがあり、驚きました。何でもないかのように軽々と何度もどもるのです。例えば「具体的に」を発声する際には「ぐう―――たいてきに」のように伸発が多いような気がしました。堂々とどもる理由もこの2冊に書かれています。「どもってもいいんだよ」というメッセージが込められています。  <2020年8月25日・雅>


「吃音 伝えられないもどかしさ」

 (近藤雄生著 新潮社 2019年1月初版 1500円)

 最愛のあなたに私の吃音の悩みを知ってほしい、家族に知ってほしい、先生に知ってほしい、職場の人に知ってほしい・・・。そんな思いを抱いている人は、しゃべる必要はありません。目の前の人にこの本を差し出せばOKです。

 吃音は、その症状を持つ人たちを孤独に追い込む。コミュニケーションがうまくいかないと、離婚や家庭の危機に直面する人もいれば、自殺に追い込まれる人もいる。でもその苦しみは、非吃音者にはそう簡単には伝わらない。

そんな現状を打破するのが、この本だと思います。非吃音者にぜひ読んでほしい本です。

著者の近藤さんが多くの当事者にじっくり話を聞き、それぞれの心のうちを描いたノンフィションです。冒頭は、自殺を試みた男性の話から始まります。さらに、今も改善に取り組む人たちの試行錯誤を通して、「吃音とは決してなす術のない障害ではない。訓練によって、確かに変化し得るのだ」とも書きます。

この本は、非吃音者に対しては、目を開かせる力があります。吃音者にとっては、希望を持てる本でもあると思います。            <2020年8月30日・雅>


「吃音学院」 小島信夫著

講談社文芸文庫「殉教・微笑」(1993年12月初版)収録

  戦前の吃音矯正所の様子がよく分かる小説です。現代は、吃音を「どう受け入れるか」「どう軽減していくか」という考え方が主流だと思いますが、当時は、矯正するものでした。

1953(昭和28)年に書かれました。本の最後の「著者から読者へ」でこう記しています。「私は昭和7年(略)に中学校の卒業式に出ないで大阪の桃山にあった吃音学院に吃音を矯正しに行った。このときの体験をもとに20年後にこの小説にした」

 小説では矯正法をこう表現しています。

「ゆっくりと腹の中から自然に空気を口腔に送りこみ、口形を作り声帯を静かに震わせるのであって(略)目まいのするほどゆっくり話す(略)お経の読み始めの眠たくなるような調子。それがそっくり吃音矯正の発声法の調子なのだ」

 さらに学院生たちは集団で街頭に出て、公衆電話を片端から至ることに掛け、さらに「俺たちはどもりだ、どもりだ」とお経読みの調子で大声を出して歩きます。最後が街頭演説。「公衆の面前でどもりの経歴及び全治に至った次第を述懐する(略)いわば恥をかき懺悔を行うことによって解脱する」 

 カミングアウトのようなものでしょうか。ただ、「恥をかき」としていることから見ても、結局は矯正できていないのでしょうね。

 私はこの本を高松市中央図書館で借りて読みました。  <2020年9月1日・雅>


「私の履歴書 田中角栄」 日本経済新聞社編

  「私の履歴書 第28集」(1967年2月初版)に収録

  元総理大臣、田中角栄にも吃音があったことは有名です。「私の履歴書」は、さまざまな分野の著名人が自身の半生を執筆する日本経済新聞の名物コラムです。田中角栄は自民党幹事長だった1966年2月に登場しました。吃音については例えば、尋常高等小学校5年の時をこう振り返っています。

 「寝言や歌を歌うとき、妹や目下の人と話すときはドモらない(略)目上の人と話すとき(略)ドモるのである(略)自分はドモリでないと自分に言い聞かせ、自信を持つことが大切なのだ。大いに放歌高吟すべきだと悟ったので、山の奥へ行って大声を出す訓練をした」

 学芸会で「弁慶安宅の席」をやる際、先生から「舞台監督をやれ」と言われ、「絶対にドモらないから劇に出してくれ」と頼み込んだそうです。その結果、弁慶役をもらえました。

 「当日、幕が開いた(略)ドモリの田中がどんな弁慶をやるのかと、満場水を打ったような静けさである(略)節をつけて歌うよう切り出すと、自分でも驚くほどスラスラと最初のせりふが出てきた」。二つ工夫をしたようです。「せりふに節をつけ、歌うようにしゃべった」「劇に伴奏音楽をつけて、進行がリズムに乗るようにした」。そしてこう続けます。「弁慶役の成功が、どれほど私にドモリ克服の自信を与えてくれたかわからない」

 政治家田中角栄は、節をつけてうなるように演説をしていました。吃音を出さないような工夫だったのかもしれませんね。 

 私はこの本を香川県立図書館で借りて読みました。  <2020年9月10日・雅>


「大杉栄 自叙伝」 土曜社 2011年9月初版 952円

「新編 大杉栄追想」 土曜社 2013年9月初版 952円

 明治大正を代表する無政府主義者の社会運動家、大杉栄(1885-1923年)も吃音者でした。父は軍人。香川で生まれ、少年時代は新潟で暮らし、東京外国語大在学中に社会主義者になります。関東大震災直後、憲兵に殺されました。

 自叙伝には、15歳ごろの名古屋陸軍幼年学校での出来事がつづられています。

「ある日大尉は(略)きょうの月は上弦か下弦かという質問を出した(略)それが下弦だということは(略)僕は知っていた。けれども僕には、その『か』という音が、どうしても出てこなかった。どもりには(略)ことにか行が一番禁物なのだ」

 そしてこう続きます。

 「上弦ではありません」/しかたなしに僕はそう答えた。/「それではなんだ?」/「上弦ではありません」/「だからなんだというんだ?」「上弦ではありません」/「だからなんだ?」「上弦ではありません」/「なに?」/「上弦ではありません」

 「追想」は大杉殺害の直後、友人や同士ら16人が執筆した追悼文集です。多くの人が吃音について触れています。二つ、紹介します。

 「大杉君は非常にどもった。ことにカキクケコの発音をするときには、あの大きな眼をパチクリさせ、金魚が麩を吸うような口つきをした。それでいて非常な話好きであり、かつ話上手であった」

「上目を使い白眼をし顎をシャクリながら少しどもってポツリポツリ話す話しぶりはすこぶる魅力があった。大杉が若い女の心をつかむのはこの話しぶりであったろう」

 この2冊からは、吃音があるからこそ、人をひきつける魅力が増し、男性にも女性にも大いにもてたのかもしれないと思えてきます。 

香川県立図書館で借りて読みました。        <2020年9月10日・雅>


「きつおんガール うまく話せないけど、仕事してます。」

  小乃おの著 菊池良和解説 合同出版社

  2020年9月初版 1400円

 著者の小乃さん(1987年生まれ)が自身の体験をマンガで表現し、九州大学病院吃音専門医の菊池医師が解説を書いていて、当事者や家族、周囲の人たちが押さえるべきポイントが分かりやすく盛り込まれた本です。

 小乃さんは現在、社会福祉士として働いています。そこに至るまでの、ご自身の恐れ、悩み、悔しさ、諦めに加えて、生き抜くための自分なりの対処法、踏ん張りどころ、「どもる自分が悪いんじゃない」と意識変換できた瞬間などが、マンガの柔らかくも力強いタッチで描かれています。また、母親が悩み、小乃さんのために取った行動にも触れています。

 私が個人的に感じ入った箇所は、大学生時代の小乃さんが先生に悩みを相談し、「努力もしたけど……私だってどうにもできないことを」「どっどうしてそれを笑うんでしょうか…」とつぶやき、涙があふれる場面でした。多くの吃音者に共通する涙だと思います。努力しても変わらないことを求める世の中こそが、けしからんのに。

 今の社会福祉士としての小乃さんの心境も最後に描かれています。福祉の制度を説明する際に吃音が出て、「あー 吃音出ちゃったなー」と相手の反応をちらっと見て、「なんだ 気にしてるの 私だけか」と安心する場面です。 

この本は子どもも手軽に読めますし、大人でも心が折れていても、すーと染み入ってくると思います。救われる人がたくさんいると思います。  <2020年9月10日・雅>


「吃音を生きる 言葉と向き合う私の旅路」 

  キャサリン・プレストン著 辻絵里訳 東京書籍

  2014年8月初版 1600円

 英国人の吃音女性の自伝です。1991年、7歳の時にうまく話せないと自覚し、24歳で米国に渡って吃音とともに生きることを受け入れていく半生が、躍動的につづられています。

 子どもの頃の記述には、私は胸が詰まりました。自分の名前が言えない、出席点呼の際に「はい」が言えない、店で注文したいのにできない、友達に向かって気の利いた言葉は思いついているのに言えない……。幼心の恐れ、悔しさ、諦め、葛藤が生々しく伝わってきました。

 著者の転機は24歳の時でした。資産運用業界のライターの仕事を辞め、「逃避?」「無謀?」と自問しながらも、吃音の治療法を求めて、吃音に関する本を執筆するという目的で渡米します。そして、多くの当事者やその家族、吃音研究のパイオニアらにインタビューをしていきます。それぞれの人が次のインタビューの相手を紹介してくれたようです。そのたびに、その人なりの対処法、直面した困難がいかに人格を形成していったか、どのように生きることを選んだか、著者は魅せられていきます。自分とは違う吃音への視点を新たに知っていったのです。

 この本を読めば、吃音のことを知らない人であっても、吃音者が何に悩み、どう工夫し、人生と向き合っているのかが、よく分かると思います。<2020年10月7日・雅>


「きよしこ」 

 重松清著 新潮文庫(2005年7月初版)550円

 自身も吃音当事者の小説家、重松清さんの名作です。重松さんは、新潮社のWebマガジン「考える人」の対談https://kangaeruhito.jp/interview/11224の中で「清の『き』が本当に言えなくて。そのくせ転校はたくさんしたから、いつも最初の挨拶が大変でした」と子どもの頃を振り返っています。ちなみに対談相手は、「吃音 伝えられないもどかしさ」著者の近藤雄生さんです。

 「きよしこ」の主人公「きよし」も吃音の少年です。親の転勤で何度も転校をしていて、言いたいことがいつも言えません。

小学1年生の時、子ども会のクリスマス会で自己紹介を求められますが、言葉が出ず、深呼吸しても喉がすぼまり、舌がこわばって動かない。場がざわめく中、息ができない、胸が苦しい。どうしようもなくなり、駆け出して外に逃げました。

 家に帰ると、父親がクリスマスプレゼントの飛行船模型を差し出しました。でも、本当に欲しかったのは魚雷戦ゲーム。「ぎょ」が言えなかったので、飛行船になってしまったのです。母親に「ありがとう、は?」と促された瞬間、喉がきゅんとすぼんで、「あ」が出てきませんでした。両親の笑顔が曇った瞬間、きよしは飛行船をタンスの角にたたきつけました。泣きながら何度も何度も……。父親にしかられたきよしは、「ごめんなさい」の「ご」も言えず、また泣きました。

 物語は、きよしが高校を卒業する時期で終わります。吃音があったって、出会いや別れがあり、けんかや恋もします。言いたいことが言えない場面を何度も経験しながら生きていく様子を、重松さんは温かく包み込みこむように描きます。

  私はこの本を読み、子どもの頃の苦しさがよみがえってきました。と同時に、あの頃の自分はよく辛抱したなと、胸が熱くなりました。    <2020年12月10日・雅>


「青い鳥」

 重松清著 新潮文庫(2010年7月初版) 670円

 主人公は吃音当事者の中学校非常勤講師、村内先生。生徒らからは「何を言っているのかわからない」ほどどもります。特に「カ」「タ」行と濁音は全滅。それでも、教室で笑い声が起きても気にしない様子で、いつもにこにこ笑っています。

 小説はそんな村内先生が、独りぼっちの生徒の心に寄り添い、本当に大切なことは何かを伝えていく物語です。8話が収められており、1話ごとに、いじめの加害者になってしまった生徒、父親の自殺に苦しむ生徒、家庭を知らずに育った生徒――たちが登場します。

 最初に登場するのは場面緘黙症の生徒、千葉知子さん。千葉さんは家では話せるのに、学校という場面になると話せなくなるのです。1年生の時、学校でのあることがきっかけで発症しました。同級生からは奇異な目で見られ、からかいの対象になり、卒業も目前にしたある時、村内先生を前にして、声が出ました。

「なんで、先生になったんですか?」

村内先生はこう答えます。

「俺みたいな先生が必要な生徒もいるから。先生には、いろんな先生がいたほうがいいんだ。生徒にも、いろんな生徒がいるんだから」

 著者の重松さんも吃音当事者です。あとがきに「初めてヒーローの登場する物語を書きました」と記しています。ヒーローと呼ぶには、村内先生はあまりに不器用です。でも、村内先生と出会った生徒たちは、前を向いて歩み始めます。

 現実のこの世界でも、吃音で今悩む子どもたちの前に、もし村内先生が現れたら。そして、その出会いによって心が晴れたら。その子にとっては、真のヒーローです。

                        <2020年12月25日・雅>


「彼の生きかた」

 遠藤周作著 新潮文庫(1977年5月初版) 710円

 弱いとされてきた人が実は一番強かったーー。この小説の読後、私はそんな余韻に浸りました。

 主人公の福本一平は小学生の頃から吃音で気が弱く、人とうまく接することができず、いじめられることもありました。心安まるのは、動物と一緒に過ごす時間だけでした。ある時、担任から「そんなに動物が好きなら、誰にも負けない動物学者になったら」と声をかけられます。

その言葉を胸に大人になり、野生の日本猿の調査にのめり込みます。猿の餌付けに精魂を傾けていきます。でもスムーズにことは運びません。大資本や学歴社会が立ち塞がります。それでも、組織の論理に従うことなくひたむきに猿たちに寄り添い、やがて物語はクライマックスを迎えます。

「さ、猿はものが言えん。に、人間のようにものが言えん。し、しかし、ものが言えんでも、猿かて……か、悲しみはあるんや。さ、猿かて……悲しみはあるんや」

追い詰められた猿たちを守るため、一平は大勢の人間らに向かって叫ぶのです。大勢の中には、一平の幼なじみもいました。彼女には、一平がしゃべりに不自由な自身のことを語っているのだと分かり、思わず、耳を両手でふさぎたい気持ちになるのでした。

一平の生き方は、世間の常識から見れば、社会からの逃避の連続です。弱く見えます。その一方で、対照的に描かれる資本家が一平のことを、「弱ければ研究所も飛び出さなかったろうし、私のホテルでも働いたろう。それを断るのは弱くない証拠だね」とつぶやく場面があります。見方を変えれば、弱くはない。そして最後の場面で、誰にも頼らずに一人ですっくと立つ強さを見せつけるのです。 

私はこの場面に、心をつかまれました。       <2021年1月13日・雅> 


「アサッテの人」

諏訪哲史著 講談社文庫(2010年7月初版)490円

 すっと分かるような内容ではなく、感想を簡単に書かせてくれない小説です。ただ、吃音がもし治ったらその人の世界はどう変わるのか、そんなことも描かれています。著者の諏訪さんは子どもの頃、吃音でいじめにあったこともあるそうです。

(https://socialaction.mainichi.jp/cards/1/47)

 本の裏表紙には粗筋がこう書かれています。

「吃音による疎外感から凡庸な言葉への嫌悪をつのらせ、孤独な風狂の末に行方をくらました若き叔父。彼にとって真に生きるとは『アサッテ』を生きることだった。世の通年から身をかわし続けた叔父の『哲学的奇行』の謎を解き明かすため、『私』は小説の筆を執るが……」

 叔父が20歳の時、一大転機が訪れます。幼少の頃から苦しめられた吃音が突然、あっけなく消えたのです。生きやすい世界になるのではと期待を抱きます。「僕は待っていた。周囲に溢れる言葉、いままで僕を拒絶し、遠ざけてきた言葉が、これからは僕にとって近しいものになる。そう思った。そこでは世界は澱みなく流れているだろう」。

 しかし、半年後、思い違いだと気づきます。叔父はそれまでは「定式に適った言葉」の世界の外側で生きてきました。いわば自分が自由にあがける言葉の世界で。ところが「正当な言語感覚」を身につけてみると、「逆に僕をその律の内に緊縛し閉じ込めようとするものだった」。叔父は一転ひどく戸惑い、緊縛から逃れようと再度、「吃音的なるもの」を求め始めたのではないか。それが「アサッテ」なものだったのではないか。 

 以上はあくまで私の感想です。読む人によって、感想は大きく変わってきそうな小説です。第137回芥川賞受賞作(2007年)です。  <2021年1月15日・雅>


「本と体」

高山なおみ著 KTC中央出版(2020年9月初版)1800円

 料理家の高山なおみさん。文筆家としても知られます。この本では、26冊の書評、絵本編集者や写真家、画家との対談、そして、子ども時代の吃音体験をもとにした自作の絵本「どもるどだっく」についてインタビューを受けた時の語りを綴じ込んでいます。

 インタビューのタイトルは「子どもの孤独とことば」。高山さんはこんなことを語っています。3、4歳の頃を振り返り、

<ちゃんとしゃべれなかったみたい(略)おかあさんは、なんで私に、ゆっくりしゃべりなっていうのかな、とか思っていた。私は言葉そのものを意識してしまうからしゃべれない(略)例えば、「あ」を言って、次に「い」を言って、その次に「か」って言わないとならないんだけど、か行は出にくい音だからどうしよう……と考えちゃう>

 大人になってからのことにも触れています。2000年前後、レストランでシェフをしていた時のことです。パーティーで料理の説明をするために、大勢の客の前に出ることが度々あったそうです。

<どもらないようにしようとすると、言葉がつまって声が出てこなくなるんです>

<ある時、お客さんの中に、大好きな絵本作家(略)がいらした時があって、(その人が)私が声をふるわせて、つっかえつっかえ話すのを聞いていたんですね>

<あとから(略)知ったんだけど、「格好よかったです。高山さん。ますます好きになりました」って、ほめられたの。それを聞いて、「あ、このままでいいんだ」って思った。だから、どもりであることで卑屈になる必要はない>

<そういうこと、この絵本をつくりながら思い出してました>

 私はまだ「どもるどだっく」を読んでいません。早く読みたい。

                           <2021年9月7日・雅>


「保護者からの質問に自信を持って答える!吃音Q&A 吃音のエビデンスを知りたい方へ」

菊池良和、福井恵子、長谷川愛著 日本医事新報社

2021年8月初版 4000円

 吃音の相談を受けた医師や言語聴覚士のうち、現在、はたしてどれだけの人たちが、的確な対応ができているのでしょうか。おそらく、「親のしつけが厳しいのでは」「本人に吃音があることを気づかせないように」といったNGワードをアドバイスをしてしまうケースが多いのではないでしょうか。

 当事者でもある菊池さんは吃音専門医の第一人者です。今回は同僚2人とともに、医療従事者を読者に想定した書籍を出しました。専門的な内容が詰まっていますが、保護者の質問に医師が答えるQ&A形式でつづられていますので、私のような一般人でも読める内容になっています。テーマごとに例えば、「吃音の原因は体質が大きい?」「教師はどう配慮すればいい?」「吃音のある子どもは知的に劣っている?」「成人の吃音者は訓練前後で脳のどこが変化する?」などと続きます。また、リッカムプログラムなど世界の研究の動向も紹介しています。

 吃音を理解している医師、言語聴覚士、教員、福祉関係者の方々が増えれば、それだけ、吃音者は救われます。ぜひ、この本を読んで、正しい知識を得てほしいですね。

                           <2021年9月7日・雅>


「バイデンの光と影」 エヴァン・オスノス著、矢口誠訳

扶桑社 2021年5月初版 1870円

 米国のジョー・バイデン大統領の評伝です。著名なジャーナリストが、オバマ元大統領や側近、ライバル、家族たちを取材し、人間バイデン像を描きました。当然、吃音のことも取り上げられています。その一部を紹介します。

 子どもの頃、「どもりのジョー」とあだ名でバカにされました。「克服」するために、次のようなことをしたそうです。

 <向こうから来る友達がヤンキースについて質問するはずだと分かっていたとする。それなら、そこに目を向ければいい。こっちから「ヤンキースの調子はどうだい?」と聞くんだ。その前に、相手が近くに来るまで、練習しておくんだ。こんなふうに「ヤンキースの調子はどうだい」「ヤンキースの調子はどうだい」。>

 ただ、克服は完全にはできなかったようです。オバマ大統領の下で副大統領だった時の話も紹介されています。

 <バイデン副大統領はテレプロンプターに慣れていなかった。吃音のせいで、いまだに声に出して読み上げるのが即興より苦手だった。スピーチライターと原稿を書いておきながら、それを無視することもあった>

 大統領としてのバイデン氏をどう評価するかは、人それぞれでしょう。ただ、バイデン氏は、吃音があっても世界のトップになれる、ということを示しました。私は、画期的なことだと思っています。                 <2021年9月24日・雅>


「ストレスや苦手とつきあうための認知療法・認知行動療法ー吃音とのつきあいを通して」

大野裕、伊藤伸二著 金子書房 2011年10月初版 2000円

 認知療法は、認知(もののとらえ方や考え方)のバランスをとりながら気持ちを軽くする方法です。精神疾患の治療法としてだけでなく、日常生活のストレスを上手に生かす方法としも注目されていて、吃音と一緒に生きていくときに役立つとされています。

 この本は、認知療法の第一人者である大野さんと、日本吃音臨床研究会会長の伊藤さんの共著です。大野さんと吃音者たちの質疑応答や、大野さんと伊藤さんの対談、認知療法を取り入れた伊藤さんの実践記録などの内容が盛り込まれています。

 伊藤さんの吃音への姿勢は、症状の改善を目指すのではなく、吃音のある自分がどう生きるかかが大事、というものです。どもる人の悩みは症状そのものから起こるよりも、その人の吃音に対する受け止め方によって起こるのだ、という考え方です。認知療法はその考え方にぴったりはまります。自分の心に発生する負の感情は、自分の思い込みが基準になっているのではないか。それに気づくための心の整理方法を具体的に試みる方法が分かりやすく盛り込まれてます。

 「世の中はこういうものだ」とか「人はこうあらねばならない」、「吃音者は周囲からはきっと~と見られている」とあなたが思っていたとすれば、それはあなたの思い込みに過ぎない。この本を読めば、そんな意識変革が起きるかもしれません。

                           <2022年2月1日・雅>


「どもる子どもとの対話 ナラティブ・アプローチがひきだす物語る力」 

編者:伊藤伸二・国重浩一 

金子書房 2018年12月初版 2200円

 ナラティブ・アプローチとは一言で表現すると、「どもりがあるから~できない」という考え方を「どもりがあっても~できる」に変えていく、ということでしょうか。

 ナラティブとは「物語」といった意味で、「ナレーション」と同じ語源です。心理学の手法で、相談者がカウンセラーに悩みを語り、カウンセラーとの会話を通して問題解決を目指します。

この本では、吃音症状の改善は目的としていません。どもる子どもが専門家や友達との対話を通して自らを再発見していく様子や、吃音への向き合い方が実際に変わった人のことが詳細に描かれています。

 多くの人が、ある問題によって窮地に陥ったことを語る時、語りの内容はその問題に支配されています。「吃音にどれだけ悩まされてきたことか。吃音さえなければ」というようなストーリーです。「どもると、周りから変な人だと見られる」「どもると何もできない」との思い込みのため、逃げるしかないという思考に結びついてしまいます。

 一方、ナラティブ・アプローチに沿って対話を重ねていくと、吃音自体が問題なのではなく、吃音をマイナスととらえる考え方こそが問題なのだ、と気づきます。そして、その考え方を変えれば、冒頭に紹介したように、「どもりがあっても~できる」という、別のストーリーに書き換えることができるのです。

 本の中に、小学生の「ことみ」さんの例が紹介されています。ナラティブ・アプローチの対話に取り組む「ことばの教室」で、他の子どもたちとこんな会話をします。

 

 ことみ:保健室に行った時、どもってしまって時間がかかったので、保健の先生に迷惑

     をかけた。どもりは治した方がいい。

 子ども1:保健室は相談するところだから、どもっても先生は困らないよ。迷惑をかけ

     ていると思わない。

 子ども2:どもっているだけでちゃんと話そうとしているから、迷惑ではないと思う。

 ことみ:そうなんだ。私もそう思い始めた。

 

 ことみさんのストーリーが変わりました。ことみさんはこんな経験を積みながら、自分と吃音について見つめ直し始めます。学年が上がると、「どもりが少なくなって、気にならなくなった」と話しました。でも、母親から見れば「どもり方は同じだけど、気にせずに話しているように見える」そうです。どもっていてもどもっていないような感覚なのですね。 

対話を重ねることで、「今のままの自分でいい。このままでもやっていける」という自信がつく。それが実践できるガイドブックです。      <2022年2月3日・雅>


「僕は上手にしゃべれない」

椎名直弥著 ポプラ社 2017年初版 1500円

 著者の椎名さん(1984年生)が吃音に一番悩んだのは、子どもの頃でした。学校では周りから笑われないように必死に戦っていたそうです。そうした体験を基に書かれた物語です。

 中学校の入学式の日、クラスで自己紹介し合う場面から物語は始まります。主人公の柏崎悠太には吃音があり、自分の番が迫ってくるにつれて鼓動が激しくなり、結局は言えずに保健室に逃げてしまいます。でも、「そんな自分を変えたい」との思いも強くなり、放送部に入部することに。クラスメートの女子生徒も放送部に入ってきて、物語が展開していきます。

 悠太は吃音がゆえに何度も傷つき、周りからの優しさに対しても「思うように話せる人には、僕の悩みなんて分かりっこない」とかたくなにもなります。でも、気づくのです。なぜ優しくしてくれるのか、その背景にはその人なりの挫折があったのでした。

 悠太の視野が広がります。大きな一歩を踏み出していきます。

 私はこの本を読み、何度も胸を締め付けられそうになりながらも、最後には晴れやかな気分になりました。                  <2022年9月20日・雅>


「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

押見修造著 太田出版 2013年初版 660円

吃音のある高校1年生の大島志乃は、入学式後のクラスでの自己紹介で言葉が出ません。その後も、吃音のために落ち込んだまま。そんな中、岡崎加代という友達ができます。加代はギター演奏が得意なのですが、大の音痴。一方の志乃は歌ならどもらず、さらに、うまいのです。やがて、2人は筆談も交えて仲良くなり、バンドを結成して高校文化祭での出場を目指します。路上ライブも始めます。文化祭では果たして2人はどうなるのでしょうか?

 この漫画は映画にもなりました。コンプレックスを持った高校生たちが挫折を経て自分をつかんでいく青春物語です。<2022年9月26日・雅>